すっかりサボりがちなこのブログも最後ぐらいちゃんと書こう。
2010年。やはり宮崎県民として、県職員として、口蹄疫に始まり、口蹄疫に終わった...感がある。あ。そうそう。県職員というのは、ここではもうオープンにしていくことにした。公務員っつー職業は、ただその仕事というだけでなにかというと攻撃の対象になるので(今年もいくつかのひどいバッシングを受けた)、それを表にすることは決して賢い選択ではない...と思っていたけれど、もういいや。
宮崎県庁職員であることが、ぼくのアイデンティティの大きな部分を占めているというのは厳然とした事実であり、なんだかそれをコソコソと出したり隠したりするのは「おかしい」という気がしていた。詮無い言い方になるかもだけど、少なくとも自分が給料に見合う「成果」を出せている(と自負できる)うちは、堂々としているべき...かな。まあ、世の「公務員嫌い」には当然理由もあるわけで、さまざまな事件を考えると、自分だけは、と開き直ることもどうかと思わなくもないけれど、それはそれとしつつ、当面、そういう運用で(笑)
さて。2010年は、宮崎県にとって厳しい1年となった。いろいろな業界が尋常でない被害を受けている。畜産農家や関連業界の再興、環境問題、県全体の経済復興など課題が山積である。
その一方で、ぼく自身は、口蹄疫業務の一端を担ったことで、さまざまな仕事をさせて貰い、その延長上で、さまざまな人たちと出会うことができた。転機の一年となった...といったも過言ではない。
さまざまな企業から「宮崎応援フェア」等の申し出をいただき、一緒に協力してそのプロジェクトに携わらせて頂いた。企業の業態は量販店だったりネット通販だったりメディアだったりと違っていたが、担当者の方の情熱や温かい思いは共通していた。個人と個人が繋がって仕事ができて、本当に嬉しかった。そうそう。今年もっとも繰り返し使った言葉は「ありがとう」だった。
また、仕事が終わったあとも、個人的に親しくさせて頂いた人もいる。一緒に新聞広告や復興ポスターを制作させて貰ったグリッツデザインの日高英輝さん。そして、蓮井幹生写真室の蓮井さん。このお二人と出会ったことで、改めてデザインの力・写真の力を感じることができた。結果論ではあるけれど、広告雑誌「ブレーン」で特集されたり、新聞広告アーカイブに掲載されたりしたことも、県民の「思い」が届いた気がして嬉しかった。
「街市」を通じて、街づくりに頑張る若い世代のヒトビトと親しくさせていただいたことも財産となった。CORNER村岡さん、おしりパンの大ちゃん、カレー王子、T-netproの津曲さん...。人が人を呼び、出会いが出会いを呼ぶ。みんな年下だけど、素晴らしい友人たちだ。
その他、思い出深い出来コトを思いつくままに。
・口蹄疫の防疫作業に8回従事。防疫支援本部に2週間。復興対策本部に約2ヶ月。心身ともキツい夏だった。
・終息宣言後のイベントで、「太陽のメロディー」をBGMにつかった口蹄疫ビデオで生まれて初めての号泣&嗚咽。トラウマとなっていたことに気がついた。その「太陽のメロディー」をつくった一人、布袋さんに直接お礼を言う機会があった。
・東国原知事との思い出深い仕事をいくつか。ラストが口蹄疫の感謝祭になるとは思ってもいなかったな。
・新知事は、副知事だった河野さん。マラソンを何度か一緒に走ったことがある。みやざき新生を支えていきたい。
・別にファンでも何でもなかったが、コブクロのスタジアムライブへ。「思い」が伝わる感動的なライブだった。すっかりファンに。
・こんなぼくに、弟子ができた(笑)
・友人がスタッフとして携わった「ボーイズ・オン・ザ・ラン」が公開。魂のこもった素晴らしい映画だった。
・山下達郎コンサート。鹿児島市民ホール。至福の時間が再び。
・再放送で「ちりとてちん」を。世界観の心地よさにハマった。
・東京マラソンに当たった。前哨戦の青島太平洋マラソンでは惨敗。雪辱を誓う。
最後に家族のこと。
ケータツは順調にバカ息子であり、ハナはなんとか小学生となり、無事にリンコが生まれた。家人は産休〜育休を取って子育て専念中。大きな事故も怪我も病気もなく、平穏であった。なによりである。
来年。ぼくやあなたが、家族や友人たちと楽しい時間が過ごせますように。
また、新たなわくわくする出会いがありますように。
よいお年を。
[memo]
・大そうじの続き。CDの整理。
・ぼくの実家で弟家族も一緒に年越し。
・「紅白」。Twitterで遊びつつ。桑田復帰。
・「行く年来る年」。川南の神社からの中継も。



