聴覚・難聴の最近のブログ記事

大人になったら...

今朝、車のなかで突然、娘1号が「大人になったら、耳が聞こえるようになりたい」と言った。

小学2年生。なんか、いろいろあるんだろうな。家族で話をしていても自分だけ会話に付いていけなくて「今、何て言った?」って聞き直さなくちゃいけない。大好きなおじいちゃんおばあちゃんからの電話はよくわからない。テレビやラジオから流れてくる音楽は雑音のよう。もちろん、学校でもぼくらの知らない切ないことが起きているのだろう。私もみんなのように聞こえるようになりたい、よな。

ごめん。それは無理なのだ。

医学的には人工内耳という手段が存在するけれど、それは今ある聴力を人工に切り替えるということ。人工内耳はまだまだ発展途上の技術で、相当の訓練をした上での代替手段である。ほとんど聴力のない聾者にとっては大切な技術であるけれども、少なくとも低音が一定程度聞こえるお前は、今の聴力を活かしつつ読唇力も含めた「聞き取る能力」をあげていった方がベター、というのが専門の先生たちの一致した意見。

「音」で感じ取れることは限られるかもしれない。でも手話で話せばいいじゃない。手話は楽しい。お互いに真剣に相手の「気持ち」をくみ取ろうとするから、つたない手話でも結構伝わるもの。大切なことは、コミュニケーションすること。医学以外の代替技術はいっぱいある。Macもそう言ってる。(*手話がわかるとよりジンとくる内容)
 



【2011.06.13 mon】
・主旨確認1。知事答弁協議1。あとは延々と企画書づくり。

【2011.06.14 tue】
・課内での答弁調整。委員会のりと作成。6/21出席者名簿整理。
・手話。これまでのまとめ。いろいろ忘れてる。

いろいろと思うことある週末

小泉今日子の「小雨日記」を読み終わってしまった。

彼女の愛猫「小雨」の日常を、猫目線で綴ったエッセイで、まあ、たわいもない話が綴られている。だけれども、そのたわいもなさに、キョンキョンの息遣いがしっかりあふれていて、日々の生活を覗き見しているようなワクワク感があった。

読み終わってとても残念。


難聴のピアニスト、調樹里杏さんとお話しする機会があった。調さんは、娘1号と障害の程度が同じ。その調さんが、大手電機メーカーで働き、今現在、二人目のお子さんを身ごもっているお母さん、ということに、大いに勇気づけられた。

娘1号には、日々の短期的な目標だけでなく、こんな仕事をしたい、こんな風に生きたいという長期的な目標を持たせてあげることがとても大事だと思ったなあ。


息子が生まれたとき、この子が10歳になったら「大人」として認めよう、と思っていた。

自分の自我が目覚めたのが、その頃だったのだ。親の存在を鬱陶しく思い始め、少しずつ自分なりの生き方を模索し始めていたように思う。だから、自分の息子には、10歳で自立させようと思っていた。

その息子が、先月10歳になった。でも思っていたより全然「子ども」。自立なんて全然無理。小学校4年生なんて、ガキもガキ...。

そんな風にずるずる思っていた。だけれども今日。10歳というのは一つの区切りなのかもしれない、と思うに至った。結局、親の保護という名目のもとに、ぼくは親として傲慢に過ぎていた気がする。今日からヤツは「大人」だ。

【2011.06.10 fri】
・RトラベルのK氏来訪。S野くんがライフアドバイスをしに。
・AMET会議。盛り上げよう...と思う気持ちが強過ぎたか。8割ぐらい喋って疲れた。
・職場の歓迎会(今ごろw)。「万作」「hana」。

【2011.06.11 sat】
・家人と花が短大音楽>ピアノ教室。
・ぼくとケータツは床屋。
・喜多川泰氏講演会。調樹里杏さんのピアノ演奏。
・「小雨日記/小泉今日子」★★★★。

【2011.06.12 sun】
・ホットケーキの朝食は幸せ。
・家人と花が美容院へ。ケータツとリンコと留守番。アングリーバード。
・もうケータツを怒らないことに決めた。
・「母べえ」★★★★。案外凄い映画だ。
・TSUTAYAとかパン屋とか。
・「ワンピース」41-44。

手話の魅力

手話初期コースに通い始めて8週目。欠席したのは、出張でどうにもならなかった2回だけである。我ながら真面目なものだ。そして少しずつ内容が高度になってきたところで、手話の「面白さ」にも気付いてきた。

手話というのは「言語」である。文法もあるし、活用もある。方言だってある。しかし、文字言語、音声言語と大きく異なっている点があって、何より「コミュニケーションの手段」に特化している点だ。それは「伝わりさえすればよい」という「潔さ」に繋がる。

たとえば。今日の授業は「住所」の表現で、宮崎県内の具体的な地名の表現方法を練習した。その事例のひとつに「宮崎県・西臼杵郡・高千穂町」の表し方が出てきた。ここで、聾者の先生がハタと困ってしまった。「西臼杵郡」の表現が出てこないのだ。いや先生によれば「ない」のだという。んなばかな!

先生曰く、「県」や「市町村」という単語は、日常会話で頻出するので「手話」が存在するが、「郡」は、特段の必要がないから存在しない、というのだ(本当かどうか分からずじまい)。結局、「西」+「臼」+「郡」という単語の組み合わせで十分わかるから、今日はこれで覚えるように、ということになった(笑)。ああ。なんて自由なんだ。

もっと面白かったのは「椎葉村」。人さし指と親指で輪をつくって頭に当てると、それが手話の「椎葉村」。理由がふるっている。ーかつて椎葉村出身の椎葉さん(聾者)に、十円ハゲがあったから。ヒドイ(笑)。「おう、ハゲ!」と手話で呼んでいたのが地名になってしまったという凄いエピソードだ。

そう考えると、文字言語ってとても窮屈だ。文章だけで細やかなニュアンスを表現するには特殊な技術が必要になる。たとえば「宮崎県の魅力」って「おいしい食」「自然・太陽」「神話・パワースポット」というあたりにほとんど集約されるのだが、だからといって、県のキャッチコピーとして表現するのは容易ではない。→って、コピーライター的才能のない自分は、仕事がはかどらないのを言語そのものの「せい」にしたくなる。

さてさて。手話言語には、こんな風にまるで「謎解き」しながら覚えていくような快感がある。ガンガン覚えていこう。

【2011.06.06 mon】
・ゆるキャラ研究一筋、な一日。
・読み残しのワンピース36-40,君に届け7-9。

【2011.06.07 tue】
・会議資料を黙々と作成。ちょっと膨大になってきたな。整理しなくちゃ。
・手話教室。竹下先生。

表情、という表現

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手話講座第6回目に出席。今日は数について。

まずは数字の表し方を学ぶ。
1,2,3,4,5,6,7,8,9.
10,20,30,40,50,60,70,80,90。
100,200,300,400,500,600,700,800,900。
1000,2000,3000,4000,5000,6000,7000,8000,9000。
10000,20000,30000,40000,50000,60000,70000,80000,90000。
100000000。
1000000000000。

それから、単位の表し方。
年、月、日(日は月とセットで表現)。
明治、大正、昭和、平成。
円。
年齢。

たったこれだけを学ぶのにたっぷり1時間かかった。それでも脳味噌は容量オーバー気味。ろう者が普通のペースで話す自己紹介文「私は○年○月○日生まれの○才です。」がパッと読み取れない。ふぅ。がんばんなきゃね。

ところで今回の後半1時間では「ろうとは何か」についての講演があった。手話通訳者、ろう者がそれぞれ自分の考え方などを語ってくれた。単に「手話」という「手段」を学ぶだけでなく、その「目的」についても時々立ち返ることは大事だな。「文字」のように「読む」「書く」という一方通行でも成立する言語と違い、「手話」は使ってナンボなのだ。難聴者とのコミュニケーションツールとして使わなくては学ぶ意味がない。

そういえば、先週末、県外から来ていたろう者に、たまたま道を聞かれたことがあった。ぼくはまだ手話を使っての会話はできない(せいぜいあいさつぐらいだ)。それでも、ろう者に対する「抵抗感のなさ」もあって、手に持った地図を媒介として身振り手振りで、以下のコミュニケーションを取ることができた。

「すいません。道に迷ってしまいました。」
「どこに行きたいの?」
「(手にもった球技大会の資料を指差して)市立体育館。」
「この変にはふたつ体育館があったな(県立と市立)。どっちがどっちだっけ?」
「ここに地図がある。」
「ああそうかそうか。南側にあるのが市立体育館だ。」
「ではあっちに行けばいいのか。」
「そうそう。あなたは何の競技にでるの?」
「バレーボール。」
「競技前なのに汗だくだよ。」
「宮崎は暑いよ。それに迷ってウロウロしたらからいっぱい汗かいた。」
「開会式には間に合いそう?」
「あと1時間ぐらいある。」
「じゃあ大丈夫だね。」
「教えてくれてありがとう。」
「どういたしまして。頑張ってね。」

手話ビギナーのぼくとろう者で、これだけのコミュニケーションができたのは、身振り手振りに加えて、二人の間に「表情」があったからだと思う。手話で大事なのは「表情」だと言われる。文字や音声であれば、細やかな言葉の組み合わせで表現する部分を、手話では「表情」で補うのだ。たとえば「できる」という手話ひとつから、表情によって「できた!」「できる?」「大丈夫!」といった表現に広げていくことが可能なのだ。

なんてなことを思い出しつつ、ふと「顔文字」のことに思いが至った。若い世代は、メールに多様な顔文字を使っている。これは文章力がなくて、言葉だけで細かいニュアンスを伝えられないからだ、と言われたりもする。しかし「表情によって伝えられる情報量の豊富さ」を考えると、「より正確なコミュニケーション」を行う上で、顔文字というのは大事なツールなのかもしれないなあと思った。

うむ。試しに顔文字もじゃんじゃん使ってみるか d( ̄  ̄)  ←微妙にニュアンスが違う気がする...

[memo]
・しんぼるプロジェクトの検討案、AP訪問案件の情報提供、旬ナビ企画コンペ打合せ、日経新聞営業、営業チーム検討会(第1回打合せ)、包括協定打合せ。
・手話講座。
・「GANTZ」26-29。

今井絵里子

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今井絵里子といえば、一般的にはSPEEDのメインボーカルである。が、今は、聴覚障害児の母としての顔も有名になってきている。

ぼくは週に数回NHK「みんなの手話」を見ているが、彼女の生徒役は実にわかりやすく、本当は相当高いレベルの手話力であるにも関わらず、「共に学んでいる」という気持ちになる。勇気をもらえる。

初めての著書「ココロノウタ」では、わが子が難聴と知ったときの衝撃や苦しみ、そして乗り越えた気持ちが実直さに綴られてた。そして新作「おやこ劇場」では、成長した息子との日常をエッセイと漫画で描いている。

そうした彼女の行動は、ときに「わが子を商売道具に」といった批判を浴びたり、あるいは過剰なまでの美談として捉えられる。でも、本来の目的はそんな売名や一時的なPRなんかじゃない。

彼女は、わが子との日日をオープンにすることで、この世を啓蒙しようとしているのだ。難聴とはコミュニケーションの障害であり、大多数を占める健常者の社会では、なにかと孤独を感じやすいもの。彼女は息子の未来のために、長い年月をかけて世の中の価値観を変えようとしているのだ。たぶん。

そしてそれは、世界中の難聴児をもつ親の共通の思い・願いでもある。幸いにして、少しずつ徐々にそういう社会に近づきつつある。そういった先人達のあとを引き継ぎ、難聴者の未来を担っていくは、今井であり、ぼくであり、あなたなのだ。

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[memo]
・ブランド戦略資料、知事レク日程、営業Tの広報課との絡み、宮宮コンビの整理、部事業説明会、営業T事例資料に四苦八苦、農大校企画。
・長崎物産展へチーム全員で視察。岩崎の角煮マン、セサミバーガー、たらみのゼリー、くるくるロール(3種)購入。大出費。

ハナの大ウソ

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[memo]
・東京2日目。
・東京、レストランM。銀座、レストランS。六本木、H社。まさかマネージャーまで。
・合間に神田「アスリートクラブ」でシューズをピックアップ。
・帰宅してみると、ハナが外に出て泣いていた。あれ、折檻?どうやら、風邪薬をこそこそとゴミ箱に捨てていて(これが苦いらしい)、大量に発見されて家人が逆上したらしい。...にしても、初めての「大ウソ」の発覚。これは見逃せない。しばらく家人の怒り方を見ていたが、わかってもいない相手に理屈で説教しているので、途中から「キレたお父さん」登場。いきなり車で連れ出し、夜中の山奥に放置...するマネ(気をつけないとDVと思われて警察に通報されかれないのでとても冷静に行動)。ようやく自分から「ごめんさい」という言葉が出たところで、何が悪かったかをじっくり説得。「ウソ」という概念が彼女の中で定着していないのかも。難しいな。

心の糸

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NHKで昨夜放送された「心の糸」。
夫婦でしみじみと見入ったです。

耳の聞こえないろう者の母親と、健聴者でありピアニストを目指して音大受験に臨む息子の、親子の絆を描いたドラマである。脚本は「星の金貨」の龍居由佳里。主演は、松雪泰子と神木隆之介。

ストーリー自体は、どうってことない物語なのである。母と息子をめぐる葛藤劇だ。凡庸だし退屈とも言える。しかし、登場人物の一人が「ろう者」として設定されるだけで、物語が深く、意味深いものとなる。母と息子、ろう者と通訳者、女と男...。音楽といい、演出といい、主演2人の演技といい、とても丁寧に作られた作品であり、「ろう者」とは何か、コミュニケーションとは何かについて、見るものに強く訴えてくるものがある...と思う。

つか、娘が難聴児ゆえ、「ろう者」が登場するドラマは、普通の観客として見ることができないのだ。どうしても、自分や娘の立場に立っていろいろ考え込んでしまう。上記のような美点も、あるいは物語としての消化不良感も、なんだかどうでもよくなってしまう。


娘の障害は高度難聴に分類され、いわゆるほとんど音が聞こえない「最重度高度難聴=ろう者」ではない。とはいえ、口話(音声)だけでスムーズにコミュニケーションを取ることはかなり困難である。娘は、音と相手の口元を総合して言葉を読み取っている。手話をあまり使っていないため、口話を主体としつつ、娘の貧しいボキャブラリーによって、なかなかお互いに思いを伝えきれない「ぎこちない」コミュニケーションなのが現状だ。

ドラマを見ながら考えていたのは、手話は立派な言語であるということだ。わかっているつもりでも、こうやって日常の風景としての手話を見せつけられると、必要性を痛感する。口話主体だとしても、娘にとって、第二言語としての手話は必要なのだな、やはり。学ばなくては。ぼくらがもっと。

[memo]
・朝一番で萎えるメールが。相手もそうなんだろうけれども。
・大金を入金。増えろ増えろ。
・出張計画と、企画案。
・賢くなるパズル(入門編)到着。ケータツは早々に初級・中級を終え、上級へ。
・ストレッチボード到着。のばずぞ。

日記タレナガシ

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ここのところ、なかなか雑談を書く余裕がない。ネタさえ決まれば、15分もあれば書き終わるのに、その15分の心の余裕がない。せめて[memo]欄だけでも...と思って、昨日数日分をUPした(一応、後日書き足すつもりではいる)。

でも、[memo]欄ってタダの日記なんだよなあ。日常生活のタレナガシだなあ。しかも、タレナガシても困るほどの内容でもないところが切ないなあ悲しいなあ...。あ。そうだ。どうせタレナガシするなら、ネタがない日は、代わりに、娘の日記をタレナガそう。

長女ハナは、高度難聴で耳からの情報を得にくいため、語彙力がものすごく少ない。てにをはも苦手。その対処療法として、毎日日記を書いているのだ。まだまだデタラメな日本語だし、意味がわからないところも多い。それでも本人は結構楽しそうに日記を書いているし、寝る前には「にっきよんでね」と言ってから寝る。ガンバってるなあ。エライなあ。

そのご褒美に父と一緒にタレナガシだ(笑)

 「リース」十月ニ六日火
 きょうは、3じかん目と4じかんめの(に)おとうさんとおかあさんと
 1ねん●くみの(で)リースをつくりました。
 わたしは、かわいいの(×)りぼんです。かわいいですか。
 そのあそ(と)じどうしゅうかいをしました。
 こうちょうせんせいに(が)おはなしをしました。
 むじ(ずかし)かったです。

 *( )書き部分は親による修正
 *オープンスクールで他のおとうさんおかあさんと一緒の作業があったらしい。
 *かわいいりぼんです。かわいいですか。...という質問はないよな。

[memo]
・感謝祭準備。U社打合せ。名簿整理。タイムスケジュール作成など。さらに追加で「めざまし」放映が1本。21:30。

電話で "話す" こと

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今朝、家の固定電話が鳴り、愚息が出た。相手はおじいちゃんだったようで、何やら楽しそうに話しこんでいる。その様子を見た長女が「何? 誰?」と聞いてきた。

「西都のおじいちゃんだよ」と教えてあげる。納得。「ハナも話をしてみる?」と聞いてみる。「いらない。わからんもん。」との答えが返ってくる。そして、「ハナちゃんは、小さいからわからない。大きくなってから(話す)」と...。

そうだな。お父さんは医者が大嫌いだけど、医学や医療工学がものすごーく進化して、ハナの聴力を健常者レベルにできるのなら、そのときは心から尊敬し、感謝しよう。大きくなって、ハナと電話で話せる日がくると信じよう。


アップル社の製品が素晴らしいのは、日々の生活を光り輝かせる「道具」だからだ。そして、アップル社のCMが素晴らしいのは、それをわかりやすく映像化してみせることだ。

彼女には、そう遠くない将来、iPhoneを持たせよう。彼女には素敵な「道具」になるハズだ。


[memo]
・朝7時過ぎからRun。8.5km。
・聴覚障害者の親によるランチ会。縦のラインをどう繋いでいくのか。
・ミルクとかビールとかの買い物。弟家族がシャワーを浴びに。
・「ちりとてちん」116-121 嘘つきは辛抱の始まり
・「龍馬伝」34 侍、長次郎

療育キャンプ

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昨年に続き「こどばを守る親の会」による療育キャンプに参加。

県内の「ことばの教室」「きこえの教室」に通う子らが集まって、楽しく過ごす1泊2日である。今回も「ことばの教室」、つまり吃音やら人前で話せないやらといった悩みを持つ子らが多く、うちのような「きこえの教室」、つまり難聴児(とその兄弟)は4家族の参加だった。

そんな事情はまったく関係がないがごとく、子どもらはすぐに打ち解けて夏の思い出の時間であり、親にとっては、めったにない貴重な情報交換の時間である。上の学年の子らが、上手に会話をしている姿に励まされ、その親が過去にしていた家庭内教育に教えられ、今の悩みにうちの子の将来の悩みをみる。

同じ障害を持つもの同士、あうんの呼吸がある。苦しみも葛藤も達観も、自然と共有する。だからこそ、その具体的挑戦や成果を下の世代に繋げていかなくてはいけない。障害者とその家族は、歴史の積み重ねのなかに存在するしかない。そんなことをあらためて考える夜だった。

[memo]
・朝6:00起きで洗濯、朝ご飯の用意。子どもの宿題。
・ハナのピアノ教室。
・療育キャンプ。自然の家。部屋割後、野外炊飯。ケータツはT君とともにかまど班。ハナは飯ごう班。ぼくはかまど班の補助。普通に美味しいカレーができますた。
・親同士の交流。勉強になる。
ハナ社長。いよいよ小学校に進学である。

近所の普通学校、ろう学校など、いくつかの選択肢で悩んだ結果、難聴児のための「きこえの教室」が併設された普通学校に進学することにした。ろう学校ほど十分な教育体制があるわけではないが、家族が無理をしすぎない範囲でのベターな選択なんだと思う。

今日、事前に学校側と打ち合わせをした。「きこえの教室」のT先生のご尽力もあってか、こちらが恐縮するほど、彼女にための環境が整えられていた。なんと言っても、ハナ専属の補助職員が配置されることはありがたい。常時、彼女と並んで座り、ノートテイクなどをして、学習をサポートして貰える。理解度もチェックできるので、大変助かる。

また、メンタル面のサポートとして、すでに高学年の児童たちによる「サポーター」を組織して貰っているそうだ。サポーターのお兄ちゃんお姉ちゃんは、指文字を覚えてくれていて彼女の入学を楽しみにしてくれているのだという。もう、感謝するやら感激するやら。

打合せの最後、担任の先生からの一言に涙が出た。

「おとうさん、わくわくしますね」

聞こえない以外は、普通の子なので、入学というのは「わくわくすること」なのだ。ここのところ、不安感も強くなっていたところに、この言葉は素直に嬉しかった。そうですね。もっと「わくわく」して入学を待ちましょう。本人もすごく「わくわく」しているんだから。


とはいえ。どうしても「わくわく」できないのは出費の方で(泣)

一番大きいのは、補聴器を最新型のものに買い替えること(今はレンタルして試用中)。このタイプは、FM波対応となっていて、先生にFMマイクを付けてもらうと、その声をダイレクトに受信することができるのだ。これって片耳だけで、大学生の初任給ぐらいする。市の補助制度が活用できれば助かるんだがなあ。

あと、デジタルピアノも買ったし、ピアノ教室も通うことにしたし、ふー。

[memo]
・終日年休。
・医大へ。検査と補装具用の意見書を書いてもらうこと。
・ブラザー理容。母親にナナメカットされた前髪を揃えに。吉牛でランチ。
・メディカルジャパン。補聴器の電池が異常に早く切れる件。
・イオン。時間調整で本屋へ。
・宮崎小学校。ファミサポのスタッフと一緒に。校長、担任、補助員、T先生交え顔合わせ。
・通学用に新たに借りた駐車場の手続。
・Aスポへ支払い。給油+洗車。珈琲。夕食の買い出し。
・夕食はカレーと新タマネギサラダ。

コケコの会

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難聴児をもつ親が集まっての親睦会。

都城さくら聴覚支援学校(旧ろう学校)が実施している育児相談教室「ぴよぴよ」。これは都城の幼稚部の名称「ひよこ組」にちなんで付けられたもので、月に数回、さくらで実施されている幼児プログラムの一部を実践して貰っている。今日はその「ぴよぴよ」に通う親たちが集まっての、はじめての親睦会だった。

宮崎県は、なぜか県央部にろう学校がない。人口の半分が住んでいる地域なのに、学ばせる学校がないというのは、たまたま難聴となった子やその親にとって、とても厳しい現実である。

ただでさえ、宮崎県は、難聴児教育が遅れている。というのも、ネットワークの核となるべき、宮崎大学医学部が先進的な医療を取り入れず、旧態然とした「口話法教育」から脱却できていないからで、福祉機関・教育機関との連携も全然進んでいない。

医療というのは、トップに立つ人間が立派であれば、どんどんと進化するものだが、逆に、トップが腐っていては、一歩も前に進まない。難聴ということでも大きなハンディなのに、宮崎県の県央部に住んでいると更なるハンディが生まれる。大変っちゃあ大変である。

しかしまあ、お陰様で、本当に力になってくれる教師や、遠くから支えてくれる都城ろう学校に出会えたことはラッキーであるし、今日の懇談会で、悩みを分かち合える仲間ができたこともラッキーである。前を向いていきましょう。

ということで、親の会の名前は「コケコの会」にしたいと思います。「ぴよぴよ」の親だからね。なんとなく会長やらされそうなので、命名してみた。

[memo]
・ハナ社長の発表会。保育園最後のビックイベント。インフルエンザで十分な練習ができなかったので、合奏もトチったし、歌もちょっと忘れていたけど、踊りはしっかり踊れたし、ニコニコと楽しそうだったので、マル。
・Wジジババも一緒に「百姓屋」でランチ。
・Sクリニック。やはりの結果。
・帰宅し、読み残しの「ドラゴン桜」(5)(6)。
・TSUTAYA。
・「柚子庵」にて、難聴児をもつ親の会。

ケータツの動揺、親の動揺

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夜、ケータツに「妹は同じ学校に行かない」旨を告げた。

ハナの就学にあたっては、高度難聴という障害から、聴覚支援学校(旧ろう学校)、「きこえの教室」が併設された学校、地元の小学校、という3つの選択肢があった。

教育環境としては、聴覚支援学校がベストである。専門の先生がいて、専門の機器が備えてあり、同じ境遇の同級生がいる。しかし、我が家からは車で片道1時間(高速利用の場合)、バス利用なら何度も乗継いで2時間はかかるのだ。つまりは、家族全員でその地に引っ越さなければならない。ぼくと家人の仕事への影響も甚大だ。つか、事実上は不可能に近い。

一方、歩いて10分のところにある地元の学校は、初等教育を受けるには、相当厳しい環境だ。専門の先生が一人もいない。マンモス校。専門機器は何一つ置いてない。とてもじゃないけど、ハナが、通常授業についていくことはできない。

...ということで、積極的ではないが、よりベターな選択肢として「きこえの教室」が併設された学校というのが最終的な選択となった。この学校なら、担任ではないけれど、専門の先生がいて、毎日ケアしてもらえる。担任へのアドバイスも期待したいところだ。ある程度の専門機器も備えてある。そして、何よりぼくの職場から徒歩5分の距離。いつでも駆けつけられる。

市教育委員会、発達支援センター、ろう学校などとも協議を重ねて、出した結論である。もう覆ることはない。

...そこで、今度は、ケータツに、二つの選択肢が与えられることになった。

1)今まで通り、地元の学校に通う(妹とは別の学校となる)
2)妹と同じ学校に転校する

親としてみれば、何かと心配事の多いハナに対して、兄であるケータツのサポートは欠かせないものと思える。同じ教室で過ごすわけではないが、兄が同じ学校にいる、ということはハナにとって、どれだけ安心なことか。ケータツ自身も協調性があるので、転校してもすぐに友達もできるだろう。(ちなみにぼく自身、小学校を3箇所通っているので、経験上、転校などたいしたことはない...と思っている)

でもまあ、本人の気持ちも大事だ。以上の事情をこんこんと説明し、できるだけ軽い感じで「決めるのは先でもいいんだ。ゆっくり考えてみなさい。」と言ったところ、ケータツから強烈な一言を放たれた。


「ぼくは、友達か、妹かのどちらかを選ばなくちゃいけないわけね」


...そういうことではないのだが、結果としては、まあそういうことだ。8歳にはツライ選択だったか。むしろ、親が問答無用で決めた方がよかったのかな。うーむ。

[memo]
・休みの朝の、子供の目覚めの早いこと。もちろんバトスピ(7:00〜)を見るため。
・雨の中、急遽「飫肥城下祭り」を見に行くことに。間瀬田の厚焼卵、飫肥天、喫茶「園」のチキン南蛮。子供らは相変わらずのポテト...。どのイベント会場でも同じものばっかり食べやがって。
・帰りの車の中で「サンデーソングブック」。08-09のライブ音源から。オープニング4曲、ドラムソロがかっちょいい「Bomber」。そしてラスト「downtown」。
・県立図書館へ。子供らが本を借りている間に「キネマ旬報」「ユリイカ」を立ち読み。
・家の掃除。
・たまったバラエティ番組とか(くだらないのばっか録ってるし)。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク

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ダイアログ・イン・ザ・ダーク」。

東京に行くたびに、チャンスを狙いつつ、なかなか行けてなかったこのイベントにようやく参加してきた。暗闇のなかで音を感じるイベント。案内役は視覚障害者。...予備知識はそれだけで、具体的な内容はほとんど知らなかった。

...で、知らないで正解。

単に光をなくし、音を感じるだけのイベントではない。極論を言ってしまうと「人の存在って何なのだろう」ということを強烈に突きつけられる。

五感...という言葉があるように、人は見て、聞いて、触って、嗅いで、味わって、情報を入手する。そしてその5つの情報から総合的に物事を認識し、判断する...ハズである。しかし実際はそうではない。五感は平等ではない。

視覚情報は、脳がインプットする情報の8割とも言われる。つまり、人は、「見た目」にものすごく左右されているのだ。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」では、その主たる情報源を閉ざしてしまう。残された「四感」で、人はどのような情報処理をするのだろうか。そんなことを再発見するイベントなのだ。

さて、我が娘は聴覚障害者である。主たる情報源である「光」は十分に受け止められる。しかし、彼女はその次の情報源である「音」を十分に感じることができない。脳が受け取る情報としては、わずかに1割程度が不足しているだけだ。しかし、「音」は主にコミュニケーションを司る情報なのである。つまり、わかりやすく言うなら、彼女はこの「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に参加することはできない。そんなことを再確認した。

...な-んてかくと、「うわー、なんだかめんどくせえ」と思っちゃうかもしれないけれど、実際には、とても楽しいイベントである。

何度も大笑いしながら、わくわくと過ごす90分だ。そのうえで、中身は深い。このイベントを考えついた人はとても素敵だ。障害を実感しつつ、単に「疑似体験」に留まらずに極めてフラットな意識を芽生えさせる。ぼくらはこんなにも豊かな「四感」を持っていたのか、と驚く。もちろん、イベントが終わって「光の国」に戻ってしまうと、視覚の情報量に圧倒されるのだが、「四感」を実感することはとても素敵だ。

現在は、単発イベントのようだが、なんとか常設に繋げてほしいと思う。今度はケータツをつれて夏バージョンの頃に参加しよう。「ネズミーランド」に5,000円払うよりよほど豊かな体験ができるのだから。

それと。個人的な要望として「サイレント・イン・ザ・ワールド」的なイベントのありようも考えてほしいな。楽しく可笑しく、でも、ちょっと自分の世界が広がるようなイベントを。

本日の案内役はちーちゃん。ありがとう。参加者。ねえさん、えりりん、なおちゃん、あやぱん。

<memo>
・品プリ。ハプナ。
・東京。T社。六本木。K社。池袋。F社。新宿。K。
・THE OUT LINE(21_21 DEGIGN SIGHT)。
・宮本製麺所。麺が美味しくないよ(釜玉)。
・MomaShop。はじめてモールスキンを欲しいと思った。
・ダイアログインザダーク。

保育園最後の運動会

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ハナの保育園最後の運動会。そしてぼくら親にとっても保育園最後の運動会。欠席した年もあったけれど、今回で7回目の運動会。いよいよ見納めである。

思い返すと、難聴が災いしてか、入園してから、運動会でも発表会でもずーっと指を加えてぼんやりしていたハナである。でも、2年前の年少さんの運動会で、はじめてダンスを踊った。熱が出ていてふらふらだったのに、一生懸命に「いち、に、さん、し、おにぎりり〜」と踊った。泣いてしまってちゃんとビデオに撮れなかった。

あの運動会以降、発表会でも、何するでも、一人前になんでもこなせるようになった。会話能力は3歳児程度だけれど、難聴以外はまったくの健常児なのだから当たり前ではある。今年は竹馬にも上手に乗り、何種類ものダンスを踊り、器械体操もキチンとできた。なんとプラカードレディ?もつとめた。えらいえらい。

そして、何よりどんな種目も笑顔でやっているのが、親的には「きゅん」とくる。ダンスも笑顔、器械体操も笑顔。かけっこでは外に大きくふくらんでしまい、ダントツのビリだったけれど、ずっと笑顔だった。楽しそうな娘を見ているのは幸せなことだ。

お父さんも張り切って、いろんな競技に出場した。騎馬戦やリレーはもちろんのこと、園長に頼まれて大漁旗を持って走ったりもした。こんなに親も子も出ずっぱりな運動会、楽しい楽しい運動会は、もうない。ラスト運動会を思い切り堪能した。これから残りの行事も、たっぷり楽しんでいこうと思ふ。

=プログラムのうちハナの出場種目=
・園児入場(プラカード係)
・組体操(ブリッジ、Y字バランス、開脚バランスなど)
・かけっこ(4人中4位(笑))
・表現(火の用心)
・得意競技(竹馬)
・リズム(ワッショイ江戸の花)
・親子団技(騎馬戦)*
・親子リズム(ちっちゃな王様王女様)*
・リズム(チアガール)*
・リレー(抜かれた...)
・保護者ゲーム *
・保護者リレー *

*印は親(ぼく)も参加したもの。

<memo>
・運動会。5時半起床。6時半から会場設営・場所取。両ジジババ参加。
・終了後、疲れ切ってしまい、2時間ほど昼寝。夕食後も気力がわかず録画した「再生の街」「世田谷ベース」など。