器用貧乏

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我ながら、あまりの器用貧乏さに呆れることがある。

もともと、若い頃から、あれもこれもやってみたい派であった。スポーツにしろ、文化芸術にしろ、遊興にしろ、恋愛にしろ(え?)、とりあえず「やってみる」ことが重要で、その表層をなぞれば「やってみた」ということで満足してしまう。たとえば、スキューバならオープンウォーター、ゴルフなら100切り、スキーならパラレルターン、サーフィンなら「立てた!」でそれなりに満たされるのである。

不思議と、仕事に関してもそんな感じだ。これまで配属されたのは、管理系、人事系、企画系、営業系、開発系などバラバラだ。新しい分野での日日をなんとか凌ぎ、「やってみる」ことができた。それで、一丁前に「仕事をしたぜ」的気分になっていた。

ところが、すでに社会人生活を折り返したというのに、何一つ「専門分野」がない私だ。20年もかけて専門性がない自分。これを器用貧乏と言わずして何と言おう。であるから、社会人生活後半戦は、ぜひ専門バカでいきたい。「ああ、その件ならヤツに聞くといいよ」という存在になるのだ。「他の誰かではなく自分」という仕事は、燃える。専門があるということは素晴らしい。

問題は何の専門でいくのか、ということだが、これまでの経験上、たぶん「器用」の専門家がいいのではないかと思う。「ああ、誰もやったことがない仕事ならヤツにやらせてみるといいよ」みたいな。めざせ器用セレブ。

[memo]
・契約事務(総合P)、進捗状況整理、ブログ。
・午後年休。市学校教育課にて校区外申請の相談。聴覚支援サテライト。先生、Oさんと就学談義。スクールバスの可能性など。
・ハナは「おかいものごっご」の日。楽しかった様子。

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