オープンであること。フラットであること。

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今回、師匠とお話するなかで、ちょっぴりショックを受けたことがあった。それは、「まだまだなりたい自分への道のりは遠いのね(とほほ)」と気がついたからだ。

なりたい自分。漠然としたイメージではあったけれど、その中の二つの要素が、今回とても明確になったように思う。それはオープンであること。そしてフラットであること。


オープンであること。

今回、何度も師匠から「もっとオープンになれよ」と言われた。つまり、心を開いて、ありのままに受け入れろ...ということだ。

たとえば...。

ぼくは「師匠には我が家に来て欲しくない。蔵書とか見られると恥ずかしいし。」なんてな話をした。それは、ぼくの自意識として「師匠は、バカ本も読むけど、なんだか小難しい本も読んでいたりする。翻って、ぼくの本棚はバカ本ばかり。恥ずかしい。」ということがあるわけだ。もっと言うと、ぼくは他人の本棚を見て「あー、ひどいバカ本ばかりだなあ。」と思ったりしてるから、逆に自分が恥ずかしい...なんてな感情がわいたりしているのだ。アホだ。

ヒトにはヒトの価値観があるのであって、ぼくの価値観でヒトを判断するのは傲慢であるよな。オープンな姿勢がないと、弱者に対して(たとえば仕事なら後輩、家庭なら子供)、強権を発動してしまいがちだ。それって、ぼくが一番嫌いなことじゃなかったのか。古い価値観・自分の経験則で、ぼくの思いを封じる上司や親に、ずっと反発してきたのにな。まったく同じことをしようとしてるっつーことだ。がーん。


フラットであること。

これは師匠と話しながら思い浮かんだ言葉である。なんか、目線がフラットなのだ。上から目線、下から目線...というのがなくて、同じ目線にある。もちろん、「師匠」であるから、「自称弟子」へのダメ出しはあったりする。今回だって、ダメだしされまくりだった(泣くかと思った)。

でも、それは決して、自分の価値観の押しつけではない。師匠は、ちゃんとオープンに心を開いて待っていてくれるのに、単に反論できないだけなのだ(くそー)。つまりは、フラットであることはオープンであることと同じなんだろう。相手をそのまま認め、受け入れているのだから。

さはさりながら、他人と接していて、フラットな気持ちでいることはなかなかできない。社会的地位や立場、あるいは年収、家族構成、健康状態など、ヒトそれぞれだ。あと、恋人やヨメさんが妙に美人だったり、妙にエロかったりしたら、全然フラットな気持ちになれない。なれるものか。悔しい。ムカつく。許せん。

師匠がいろんなヒトに慕われ、著名なヒトビトと親しくできるのは、このフラットな目線に負うところが大きいのではないか、と思った。これほど無愛想なのに?、これほど一緒にいることが心地いいヒトはそうそういない(緊張はするけど)。


オープンであること。フラットであること。

しばらくは、呪文のように唱えながら、日日を過ごして行こうと思う。今更ながら自分を変えるために。そうしたら、いつの日にか師匠のように、とてつもなく幅の広い友人関係が出来たり、海森堂も3000万ヒットを記録したり、全国から講演のオファーが相次いで、しかも旅行先ではいつも晴れで、そのうち小泉今日子に会えたりもするかもしれない(意味がわかりません)。

<memo>
・半日年休。
・宮観に師匠をお迎えに。「おくのうどん」。天かうどんをお勧めしてみる。
・日南の海岸線をドライブ。「南仏に似てる」「町がきれい」「贅沢」「移住候補」。師匠から感嘆の声が漏れる。ジモティとして素直に喜んでおく。師匠の古くからの友人Kさんと合流。
・「小玉醸造」。M女史に無理を言ってアレンジして貰った。ぼくにとっても初めての焼酎蔵見学だったのでおもろ。全体にキレイに整理/掃除が行き届いている。杜氏の「こだわり」を聞きながら試飲できる至福...な師匠。お土産まで貰っちゃって。ドライバーのぼくは香りを嗅ぐだけ。むー。
・「間瀬田」。卵焼き。んまいよね。Kさんによると、10代目のご主人は未婚。しかももう60代ということでこの味が味わえるのはそれほど長くない。なんてこと。
・いったん職場へ。昼飯食い損ね。ち。美少女アレンジ。コンペの結果報告など。
・夕方県庁ツアーをアレンジ。昨夜一緒だったオレンジとともに。副社長とも会っていただけた。
・M女史も合流し(張り切って浴衣で登場)、「ととや」「天祥」「続人間」。午前1時過ぎに解散。

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