1Q84を読んで

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たっぷり2週間かけて「1Q84」を読了。ときに伏線部分を読み返したり、登場人物の行動を確認しながらなので、いつにもまして時間がかかった。

BOOK1は(特に前半は)、村上作品にしてはビックリするぐらい平易で読みやすい。伊坂幸太郎の新作、と言っても違和感がないほどだ(そういう要素もあるし)。ところが、途中から徐々に世界観が混沌とし始める。愛と幻想のハルキワールドだ。

そしてBOOK2にはいると「村上節」とも言うべき「暗喩」に満ちた表現が増え、物語の展開も一筋縄ではいかなくなる。2つの世界が交錯し、テーマはてんこ盛りで、物語の入れ子が、外が内に、内が外にと入れ替わっていく。

それでも、村上作品のなかで、もっとも読みやすく、もっとも理解しやすい長編であった。人称も三人称で統一され、宗教、家族、性...といったテーマに対して、慎重に一定の距離感が保たれるので、読んでいて「迷い込む」ことが少ない。また、描写からも抽象性が極力排除されているので、「迷い子」になりにくい。「教団リーダー」の描写が、物語を貫くヒントとなっていて、「1Q84」全体への理解を促している。

もちろん、その「理解の深さ」は、各読者に依る。村上作品は、あらゆる名前、場所、例示に、複数の意味付けがなされているので、油断ならない。たとえば「天吾」は「天知る地知る吾知る人知る」からきた名前だろうし、「証人会」は「エホバ」だろうし、そもそも「1Q84」は、ジョージ・オーウェルの「1984」からの連想を想定していて、その「1984」自体が1948年のアナグラムであって...、ということを書き出したら、キリがない。そのうち、そういう分析本も出るのだろう。

でも、それらは「理解の深さ」の違いであって、そのような予備知識がなくったって、いかようにも読んでいいのだと思う。エッセイなどで本人が繰り返し、そう述べている。あえて多義的であるようにそういう仕掛けを用意しているのだろうが。

この「1Q84」を読んでいる時間は、小説の中の世界観に素直に入り込みつつ、自分自身の「ありよう」というような個人的でとても現実的な世界観とが、並列に成立しているような不思議な感覚があった。そして、久々に読書に「没頭」できた気がする。

それにしても、これだけ伏線や謎が未回収のままということは、「ねじまき鳥クロニクル」のように、数年後に「BOOK3ー完結編ー」が発行されるということなのではないか。天吾の、そしてひょっとしたら青豆の、その後の物語を読みたいと思わない読者はいないハズだ。

<memo>
・朝からTJにて打合せ。担当者だけのつもりだったが、所長も交え、オールスタッフ10名を相手にした本格議論に。資料の補足説明に「あ、ビバノンノン♪」とか書いたのが悔やまれる。それにしても、こちらが持参した案では耐えられない。抜本的に見直す必要有。むむ。
・Y社にて打合せ。こちらも担当者2名と思ったら、各部署から合計7名も。サラリと終わらせるつもりがディープな議論に。苦し紛れに思いついたオークション案が好評。いけるか。
・R社にて打合せ。有名なオフィス。すげー。随所に某デザイナーらしさが。こちらは5名。今回、ぼくらはやたらと歓迎された。なんなんだ。
・帰りの機内で「1Q84/村上春樹(新潮社)」★★★★★。読了。

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このページは、kaishindouが2009年6月12日 00:00に書いたブログ記事です。

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