キヨハラとかナガブチのこと

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清原和博の引退試合で、長渕剛が「とんぼ」を歌ったという。ふーん。清原にしても、長渕にしても、かつては熱心なファンだったのに、途中から「むしろ嫌い」な人になった、という共通点があるのよね。

清原は、ぼくより学年がひとつ下。移籍問題でダーティなイメージのあった桑田と比べて、野球が大好きなやんちゃ坊という印象があって、明るい爽やかさがあった。対巨人の日本シリーズで流した男泣きもよかった。

そして何より、大学生の頃に流行っていた「ファミリースタジアム」というファミコンゲーム(初代)で、「ライオネルズ」をひいきチームにしていたのが大きかった。いしげ>かなもり>あきやま>きよはらは、どこからでもホームランが狙える黄金の打線だった。「きよはら」はぼくにとっての救世主だったのだ(ゲームのなかで)。

だが、清原は巨人に移籍する前後から、"ワイが一番"な「番長キャラ」となり、成績より口先が勝るようになった。全然かっこよくない。「ファミスタ」もやらなくなったので、どうにもこうにも、清原という人に興味を失ってしまった。

一方の長渕剛。フォーク一辺倒の頃の長渕は、線が細く、恋人を病気で無くしたなどの不幸のイメージがあって、当時、色気付き始めた小学6年生のぼくのハートを鷲掴みにしていた。「祈り」を聞いて本気で泣いていたもの。だー。

たが、ぼくのアイドルだった石野真子と離婚し、ハード路線に向かって行くにつれて「おいおい、あの名曲『二人歩記』は何だったんだよ!」という気になり、一気に熱が冷めることとなる。♪あああ、今度こそ幸せになれますように、そんな思いで車を走らせた〜って、どこ行ったんだよナガブチ!

そんな、二人に共通するのは、途中からキャラクターが正反対化したという点だ。「繊細な青年」から「ハード系な親父」に大変身。肉体を鼓舞するかのように筋トレに励み、ステレオタイプな「男(ヤンキー)」なキャラを誇張し、ふたまわりぐらい身体をでかくした、というのも似ている。

あ、あとキャンプやコンサートで宮崎に来たとき、若い女の子たちに「悪さ」をするのも共通項だな。証言は山ほどある。つまり「余罪」もたっぷりあるってことだ。許せんなあホントにもう。(うらやましいわけではない)

<memo>
・FT社について局内協議、たまごの新規事業化検討
・はにわンインタビュー、各課へFT社の報告、ブランドパンフの審査
・楠並木市で買って帰ったタチウオミリンがハナにヒット、いもっ柱が家人にヒット

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このページは、kaishindouが2008年10月 2日 22:02に書いたブログ記事です。

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