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エロの系譜@ 03.11.06 エロはひとつの文化である(断言)。文化であるからして、その形態は時代とともに大きく変容してきている。 古くは古事記や日本書紀にある妖艶な神話に始まり(知らないけど)、数々の恋歌(これも知らない)、江戸時代の春画(あんな巨根は知らない)など、口述から詩歌、そして絵画へとゆるやかな進化を遂げてきた(たぶん)。 この章では、長いエロ文化史のなかでも、急激なる変貌を余儀なくされた現代史に焦点を当て、その変遷について、時代背景等を交えながら系統的に論じていきたいと考えている。 あらかじめお断りしておくが、論証の結果、その主旨が単なる「オカズ遍歴」となるかもしれない。その点は御了解いただきたい。 |
| ●第1章 俺の空 〜昭和52年頃〜● |
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男子たるもの、一度や二度はエロ漫画の類を拾ったことがある(断言)。 そして、不思議なことに、必ず「ホワイここに?」という場所に落ちているものなのである。なにげない道端や田圃に ぽつねん と落ちている。その姿は、ある意味神々しく美しい。たとえ雨に打たれて「がはがは」になっていようとも、である。 このようなエロ漫画との出会いは、一期一会と言われる。 日本男子は、エロ本を拾いはするものの、持ち帰ったりはしない。なぜなら「落ちている物を拾って食べてはいけない」と厳しく躾られているからだ。お母さんにも怒られちゃうし。だから、翌日もまた同じ場所に見に行く。ところが、何故か翌日にはそのエロ本はなくなってしまうのである。だから一期一会。 しかしながら、ある意味、さよならは別れの言葉じゃなくて再び会うまでの遠い約束なのである。 昭和52年当時、エロ本と切ない別れを何度か体験した少年達が、再び出会ったのは「俺の空」という作品であった。そう、作品。「週刊プレイボーイ」というちょっとヤング(死語)な雑誌に掲載され、後に単行本化された。 読み捨てられるのが運命のエロ漫画と違って、単行本化ならば堂々と買うことができるし、母親に見つかっても中身がバレなければ大丈夫だ。そうして、当時の小学生たちは、こっそりと机の奥に、あるいは天井裏に、「俺の空」を忍ばせることとなる。 内容はといれば、良識ある大人であればまったく読むに値しない御都合主義オンパレードな「俺の空」である。財閥の御曹司で成績優秀でスポーツ万能の主人公が、高校生の分際で、嫁探しの旅に出て、数々の美女とやりまくるという話である。痛快、と呼ぶのもおこがましいハナシだ。 が。なにおかいわんや。小学生おや。 安田一平になりたいと、夜な夜なホンキで悶絶した小学生がどれほどいたことだろう。むろん筆者も例外ではない。 忘れもしない。第1巻。 主人公・安田一平は、担任の川村先生(もちろんとてつもない美女である)に筆をおろして貰うんである。ロスト・バージン・in teacher。 ああ。なんてやらしい。 なんて羨ましい。 先生(男)と生徒(女)の組み合わせは、なんとなくヒンシュク感があるが、先生(女)と生徒(男)は永遠の憧れである。夢である。煩悩である。 しかもこの川村先生、至極積極的なのである。くぅ。たまらんですな。 ・・・と、ここまで書いたところで、筆者のワイフもティーチャーであることにようやく気が付いた。タンスの奥から学ランを持ち出せば一見同じシチュエーションである。 うーむ。でも、何かが違う。何かが。というか、何もかも。 「先生、俺もう・・・」 「ダメよ一平君」 くーっ。うらやましいぞ一平。 そんなわけで、漫画としてとか、物語性とか、そういうこととまったく違う次元において、「俺の空」は、間違いなく昭和エロ文化のエポックなのであった(断言)。 参考 :安田一平極めつけ語録(笑ってはいかん) |