Ero


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「エロ、なのか」(03.10.12)

リニューアルにあたり、なぜか「エロ」という裏コンセプトを掲げてみることにした。つっても、特に新コーナーがあるわけじゃないんだけども。まあ、そこはかとなく漂うエロさ加減に酔うがいい、てな。

ぼくが学生の頃は(なんてフレーズを使うと途端におやじくさくなるが)、エロにはさまざまな障壁があった。ビニール、成人映画の入場制限、モザイク処理、重複ダビングで画像がひどく荒れた裏ビデオ。見えそで見えない。見たくても見れない。そういった障壁がエロをよりエロくしていた。

しかし、今は、インターネットで直接的なエロをいくらでも手に入れることが出来る。無修正ヌードや本番動画はもちろん、かつてはタブーな分野であったホモセクシャル、レズビアン、SM、ロリータ、熟女、デブ、スカトロ・・・・・・なんでもござれだ。自由というのはなんと不自由なことなんだろう、なんてなフレーズを使いたくなる。

ニューハーフの美女(?)がペニスバンドをはめたタチの女性に犯される、なんていうことになってくると、何がどうエロいのかすらわからなくなる。いや、ホントに。

今の時代、過激さが容易にエスカレートし、エロそのものがデフラスパイラルを引き起こしているのだな。その分、体の芯が痺れるような「淫靡」さを感じにくい時代なのかもしれない。

これはもちろん、ソフトに限った話ではない。小道具やSMの一般化、友達同士の気楽なセックス、風俗のコンビニ化など、プレイ面でも過激が過激でなくなってきている。

「だから何だ」と問われると、思わず「だから素敵(うふ)」と答えてしまいそうな自分がいるが、よおく考えてみるとやっぱりそんなことない。毎日、フレンチのフルコースやふぐ刺しは食えないってことだ。日常食は、ごはんにみそ汁でありたい。

・・・と書きながら、じゃあ、たまの御馳走ってえのは何なのだ、と問いかける自分がいたりもする。妻子ある身で頂戴できる「豪勢なおかず」とは何なのか。夫婦でラブホに行くことだったり、肥後芋茎(ズイキってこう書くのか!)を買うことなのか。
それともフーゾク野郎としてキャバ嬢に突っ走ったり、職場の女の子に手を出したりすることか。

いかんいかん。エロを切り口に、世の中を切ろうとしたら、自分に刃が向かってきた。結局のところ、その答えが「エロ動画収集」だったりしたら、ちょっと切ない気がする年男の秋の夜長なのである。